2007年4月 5日 (木)

天津爆撃の戦利品

Imgp0671 1937(昭和12)年7月30、日本陸軍が天津市政府を空爆した際、その門前に飾ってあった狛犬が爆風で台座からころげ落ちた。それが大阪陸軍兵器支廠に送られ、1938(昭和13)年、西宮球場一帯で戦意高揚のために開かれた「支那事変聖戦博覧会」に展示され、博覧会終了後の10月、兵器支廠に飾られることになった。1940(昭和15)年、山里曲輪に国防館ができると、その近くの姫門に飾れるようになった。戦後、中国へ返還しようという動きがあったが、1984(昭和59)年、日中友好を深めるためにと中国側があらためて大阪市に寄贈した。

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砲兵工廠の守衛詰所

Imgp0668 明治時代初期の建物で守衛詰所や便所などさまざまな用途に使われてきた。従業員の名札が掛けられていて、出退勤時にそれぞれ表裏を返していた時もあったといわれる。門とその横の銃眼を持つ壁に、当時の名残りが見られる。Imgp0669

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天守閣と戦争

昭和12年、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面的に拡大され、日本が完全な戦時下に入ると大阪城の観光規制が始まった。まず撮影の規制が始まり、観光客は大手門を入るときに番所にカメラを預けないと中に入れなくなった。昭和15年には軍事施設や軍需工場が見られないように、天守閣の大半が閉鎖されてしまった。昭和17年秋になると市民の手から軍部に接収され、観光客はもちろん大阪市民も城内へは一切入れなくなった。

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天守閣の復興4

大阪城天守閣はさまざまな困難をのりこえ昭和6年11月7日竣工のはこびになった。昭和4年の世界大恐慌による深刻な不景気、昭和6年9月の満州事変勃発という暗く重苦しい時代に、天守閣復興は明るく夢のあるニュースだった。「天守閣小唄」「恋の大阪城」という記念レコードまで作成され、町中の蓄音機店でこれらの歌が一日中鳴り響いた。そこには不況を脱したいという市民の期待と悲願がこめられていた。

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天守閣の復興3

天守閣復興のもうひとつの困難は難しい最新式の工法にあった。天守閣を永久的なものにするため、防火、耐震、耐久性にすぐれた当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りが選択された。地上55㍍の高層建築であり、おまけに非常に入り組んだ複雑な構造している総重量1万1千トンに達する建造物である。建築史上でも前例のない画期的な工事となった。この困難な工事の引き受けてがなかなあらわれなかった。しかし、最終的には地元の大林組が請負にふみきった。起工は昭和5年5月6日であった。

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天守閣の復興2

天守閣の復興にはさまざまな困難があった。その最たるものが軍部の反発であった。当時大阪城跡は軍用基地であった。本丸の中には師団司令部の本部などがあり、機密保持のため原則として一般市民は立入禁止の区域であった。天守閣を復興し一般開放するというのは、基地を見下ろす拠点をつくる」ようなものである。天皇の御大典記念事業という大義名分がなければとうてい軍部は認めなかったであろう。最終的に軍部はいくつかの条件をだしてこれを認めた。その条件とは、第4師団司令部のためにImgp0680新しい庁舎を寄付すること、また軍部が必要とする場合には、天守閣を軍用施設として使用することなどであった。

その結果、天守閣復興のため市民から集められた150万円の53%にあたる80万円が師団司令部建設資金として支出された。この建物は戦後大阪市立博物館として使用されたが、現在は使用されていない。

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天守閣の復興

Imgp0672 昭和3年2月に大阪市会で関一市長が天皇即位を祝う御大典の記念事業として太閤時代の天守閣を市民の手で復興させたい、という提案がなされ全会一致で可決された。寄付金申込書付きの趣意書が全戸に配布された。半年たらずの間に法人・個人あわせて目標の150万円をこえる寄付が寄せられた。現在でいえば60億円にも相当する額である。大阪市民の天守閣復興によせる意気込み・熱意があらわれている。

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地中の廃墟から

Z_ 河村直哉著「地中の廃墟から」作品社

大阪砲兵工廠で実際に働いていた人を中心にインタビューを行い、現代とオーバーラップさせ戦争責任について考えさせる貴重な作品。

「夜を賭けて」の著者梁石日もアパッチ族の経験者として登場している。この本によると大阪城内の下写真の鉄のかたまりの中にはひとりの人間が埋もれているということになる。誤って高熱の炉の中に落ちた職工さんがいて、その部分は使えないと工場の外に置いた。それがいまだに残っているのではという証言が記載されている。

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2007年3月29日 (木)

夜を賭けて

Book 夜を賭けて

著者:梁 石日
販売元:幻冬舎
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日本三文オペラ と日本アパッチ族と本作品で大阪砲兵工廠3部作を読破したことになる。この作品は90年代に書かれた作品。在日朝鮮人の目から書かれている。一日一日を生き抜く執念が伝わってくる。そして北朝鮮への帰国運動に翻弄される姿もリアルに描かれている。朝鮮人専用の大村収容所のことは初めて知った。当時の日本政府が戦後こんな非人道的な事を平気で行っていたとは驚きであった。戦後の時の流れを感じさせてくれる重厚な作品でした。

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2007年3月15日 (木)

日本アパッチ族

433472869301_aa140_scmzzzzzzz_ 憲法が改正され、失業者は追放されることになった。その追放地が大阪砲兵工廠跡につくられた。そこには進化したアパッチ族が鉄を食べて生き延びていた。1964年の作品だが、全く色あせず、社会に対する風刺といい、皮肉たっぷりの描写は現代においてもなんら古めかしく感じない。政治がなんら進歩しんていないのか。有川浩の「図書館戦争」にも似て、リアルな非現実の世界が面白い。将来、なんの幸福も望めない人間が人間を捨ててなにが悪いの?と、人間性そのものを問う作品だった。

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